◇貴州省 ミャオ族の村◇

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貴州省と聞いて、何を思い浮かべるだろうか?
日本人なら、そもそもそんな地名は聞いたことがないという人が殆どだろう。 中国人なら、「貧困」という言葉を思い浮かべるだろう。
貴州省は経済的には恵まれない土地だ。
俗に、
「天に3日の晴れ間なく、地に3畝の平地なく、人に3分の金もなし」
というらしい。

貴州省は、中国の内陸部にあり、殆どが山地である。交通も不便で、昔は流刑地とされていた。 土壌が悪く、地表の多くを石灰質の岩山が占める。1年中雲が低く垂れ込め、日照時間が短く、農業に適さない。 平均収入は中国で最低レベル。教育レベルも低く、非識字率は就職者で28%に達する。

どうしてそんなところに行ったのか。
私は普段中国で最も経済の発展した街に住んでいる。 しかし、上海は、決して今の中国を代表していない。普段住んでいる上海と正反対の地域を見てみたかった。



貴陽市

まずは、上海から飛行機で貴州省の省都である貴陽市まで飛んだ。 貴陽市は、予想に反してたいそう立派な都市だった。高層ビルもあり、おしゃれな喫茶店も、 外国資本のデパートもある。自動車も多い。省都だけ見ていると、どこが「貧困」なのか全くわからない。
実は、今の中国は全国どこに行っても省都(つまり都市部)は結構豊かである。 日本のメディアでは、沿岸部と内陸部の経済格差がしばしば指摘されるが、 沿岸部、内陸部それぞれの中での都市と農村の経済格差もまた極めて激しいのだ。
したがって、都市だけ見ていても何も判らないということになる。


ミャオ族の農村と黄果樹大瀑布

今回の最終目的地は「黄果樹大瀑布」。アジア最大の瀑布らしい。貴陽市内からは200キロくらい離れている。 公共交通機関はないので、ツアーに参加しなければならない。ホテルの部屋に荷物を置いてから、フロントに行って 翌日のツアーの申し込みをした。いくつかあるツアーの中から、黄果樹大瀑布とミャオ族の村がセットになっているものを選んだ。

翌朝、旅行社のワゴン車にピックアップしてもらって、まずはミャオ族の村に向かう。 参加者は私を入れて7人。
車窓からの光景は、貴陽市内を出た途端に一変した。
地表は白っぽい石灰質の岩、または、カルスト地形特有の湯呑を伏せたような形の山で、 ところどころに散在している僅かな黒土の部分に、執念のように作物が植えてある。 比較的広く土が広がっている場所でも、畑の中には軽自動車くらいの大きな石灰岩がたくさん転がっている。
こういう土地に農民として生まれるのは、かなりしんどいことだろう。

岩山の中を2時間くらい走ると、ミャオ族の農村についた。
ミャオ族は中国の少数民族のひとつで、主に貴州省や雲南省などの比較的貧しい地域に分布している。
元々は、もう少し肥沃な土地に住んでいたらしいが、漢民族の勢力拡大により段々と貧しい土地に追いやられたらしい。
ちなみに、ベトナムにも難民としてのミャオ族が数万人規模で分布している。 これも元はもっと東の方に住んでいた人々であるが、「押し出されて」そんなところにまで行ってしまったのである。
米国が難民としての受け入れを検討しているという話を聞いたことがあるがどうなったのだろうか。

車がミャオ族の村の入り口に着くと、突然花火が打ちあげられた。 彼らにとって、観光客の相手をするのは貴重な現金収入源である。 爆竹が鳴り、動物の骨をくり抜いた杯で出迎えの酒を振舞われる。 20人くらいの若い男女が付近の畑から集まってきて、民族衣装をつけ、舞踊を見せてくれた。

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ミャオ族の村での出迎え


民族衣装を着た男女が民族舞踊を見せてくれるのだが、女の子の多くはまだほんの子供で、わけが判っていないような、 ぼーとした表情で踊っている。多分、観光客相手に現金を稼ぐということの意味が良くわからないのだろう。
わたし的には、見ていてなんだか悲しくなった。

40分位をこの村で過ごした。
次の目的地の黄果樹大瀑布に向かう車の中で、ガイドの男性が、先ほどのミャオ族の村への報酬は1回あたり40元だと言った。 ツアー客の一人が思わず「1人40元か?」と聞き返していた。そうではなく、全部で40元(日本円で500円くらい)である。 20人で分けると、一人2元(1元=約12円)ということになる。
日本よりも物価の低い中国だが、その中国人も驚く低額報酬である。 それでも僻地の農民にとってはかなりの金額であり、極めて貴重な現金収入源である。

ワンボックスは相変わらず痩せた憂鬱な土地を走り続け、黄果樹大瀑布の入り口に着いたところで、昼食となった。 中国式に、みんなで丸テーブルを囲んでおかずを突付き合って食事を取る。
実は、このシチュエーションは外国人にとって少々面倒である。 こういう場合、ただ一人の外国人はどうしても話題の中心にされてしまうからだ。

このときもそうで、私が日本人なので思い出したのか、日本人残留孤児の話題になってしまった。 山東省から来た女性は、知り合いに残留孤児がいるとのこと。山東省の小さな町で中国人に育てられ、 地元政府からも生活援助を受けて、今は、まあまあの仕事を見つけて、平穏に暮らしているらしい。
ちなみに、中国の一般人は、確かに一定の反日感情は持っているものの、こういう事をわりと淡々と話す。 少々微妙な話題ではあるが、こういう時には、こちらも普通の顔をして聞いていれば特に問題は生じない。 この辺は慣れというものである。

昼食の後、最終目的地の黄果樹大瀑布に向かった。


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黄果樹大瀑布


この滝は、裏側に入ることができる。
間近で見ると、水量も多く、結構迫力がある。


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裏側から見た滝


瀑布で2時間くらいを過ごし、200キロを走って貴陽市内に戻ったときには、すでに夜になっていた。
昨日とは違うホテルに宿を取り、夜店などを眺めて夜を過ごした。

翌日の予定は特になかったので、長距離バスで中国共産党ゆかりの遵義を見物に行こうかとも思ったのだが、 なんとなく疲れを感じていたので、少しでも上海に近い方角に移動しようと思い、汽車で湖南省方面に向かうことにした。
(なお、上記の遵義は紅軍の「長征」の通過点として有名。毛沢東はこの遵義で共産党の指導者たる地位を確立した)

もう少し少数民族の土地を見たかったので、湖南省の小さな町までの切符を買って汽車に乗った。しかし、 汽車の中で湖南省の長沙付近に毛沢東の生家があることを思い出し、どうしても行ってみたくなった。 たまたま長沙行きの汽車だったので、車内で乗越手続をして、長沙に直行することにした。

中国の寝台車は、大体1両に一人くらい車掌が乗っている。 車掌のおばちゃんを見つけて、乗越手続を依頼すると、おばちゃんいわく、 「領収書が必要か?」
特に必要としないと伝えると、
「では、50元よこせ。その後のことは、あとで指示するから、そのまま乗っていろ」 とのこと。
実は、こういうことは中国の汽車ではよくある。
おばちゃんから到着駅の仲間に連絡が行き、私を裏から出構させる段取りが既についているはずである。 私が支払った50元は何人かの仲間で山分けする。
正規の乗越運賃でも50元程度なので、私にとっては別に得な話ではないのだが、しかし、 中国では現場の権限を持っている人間に逆らわないことが大切である。こういうときは言うことを聞いたほうが面倒がない。
車掌のおばちゃんは、それから長沙に着くまでの約半日、毛布を持ってきてくれたり、 食事をおごってくれたり、やたら親切である。懐柔策である。

長沙についたのは、深夜に近かった。 切符のない私は、一番最後まで車内に残され、他の乗客が皆ホームを去った頃になって、 ようやく車掌が迎えに来た。着いて来い、と言う。

連れて行かれたのはホームの端。
そこに居た男に着いていけと指示される。 男は2人いて、2人とも鉄道員の制服を着ていた。
ホームから地面に降り、砂利を踏みながら、3,4本の線路を歩いて越えて、駅構内の駐車場に連れて行かれた。

真っ暗な駐車場には、自家用車がエンジンをかけて待っていた。後部座席に乗れと指示される。 シートに座ったら、お尻にあたる物があった。何かと思ったら、鉄道公安警察の制帽だった。
車は真っ暗な駅構内を走り、やがて裏口のゲートを越えて、外に出た。裏口を出てすぐに、 車は止まった。
「ここで降りろ」
とのこと。
車は私を真っ暗な倉庫街で下ろすとそのまま走り去った。任務完了のようである。あたりには 黒い倉庫が並んでいるばかりだ。大きな駅なので、真っ暗な倉庫地帯で30分近く迷った。
正規の乗越しをしたほうが100倍良かった。
それにしても、彼らの段取りの良さには感心した。 しょっちゅうやっているに違いない。 中国の国営事業が赤字なのは当然である。

長沙では駅前のホテルをとり、一泊した。
翌日は、毛沢東の生家に行くつもりだったのだが、昨日の出来事もあって文明世界が恋しくなり、 予定を変更して深センに移動し、歩いて国境を越えて香港に息抜きに行ってしまった。

香港での話は、省略。



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