◇ロシア国境 アムール川 黒河◇ | ||
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3年前の正月に黒龍江省の黒河という小さな街に行った。
黒河市はアムール川に面しており、アムール川は中ロ国境になっているので、対岸はロシアだ。 黒龍江省の省都ハルピンから汽車で14時間くらい真北に北上したところにある。 ハルピンからの距離は約630キロ。 黒河という街を知ったのは、前に中国旅行のガイドブックのところで書いたJTBのガイドブックに乗っていたから。 その後、ネットで調べたりしているうちに、どうしても行きたくなった。 冬になるとアムール川が凍結するので、ロシア人が歩いて川を渡って中国に買出しにくるそうだ。 ロシア人にいわせると「中国は物資が豊富だ」ということになるらしい。 そんな話を聞いて、ますます行きたくなった。 なお、この頃は旅行にカメラを持っていく習慣がなかったので、今回は文書のみ。 ハルピン 上海からまずは飛行機で北京に飛んだ。上海からハルピンへの直行便もあるのだが、 冬の北京を見たくて寄り道をした。 北京を1日ぶらぶらして、途中で民航のチケットセンターに寄って、黒河から帰ってくるための飛行機のチケット を購入した。行きは汽車で行くとしても、帰りは飛行機に乗らないと仕事始めに間に合わない。 黒河にはちゃんと空港がある。だたし、週に2便しか飛行機はこない(当時)。 だから、それを乗り逃がすと大変だ。 夜、北京から飛行機でハルピンへ。 ちょうどこの日は大晦日で、どうしても紅白歌合戦を見たかった私は、 NHKの衛星放送が見られることを確認したうえで、奮発して4つ星のホリデーインに宿をとった。 1泊450元くらいだったと思う。前にも書いたが、中国のホテルは正月は閑散期なので割引料金になる。 ホリデーインはハルピンの中心街である「中央大街」にあり、とても便利だ。 ホテルの前にはケンタッキーもある。ケンタッキーはどこでも同じ店構えだが、 そのゴミを収集に来ていたのがロバ車だったのが上海や東京とは違っていた。 ホテルの部屋で紅白を見終わったあと、街に出てみた。日本とは時差が1時間あるので、 まだ年明けまで少し時間がある。ハルピンの中心街である中央大街をぶらぶら歩いてみた。 ハルピンはロシアとの関係が深いので、町にはいたるところにロシア風の建物が沢山あり、異国情緒が楽しめる。 街頭の電光掲示には、気温マイナス27度と表示されていた。あまりに寒いので、雪が地面に落ちてもサラサラしていて、積もらない。 風が吹くと細かな雪が地面から巻き上げられて飛んでいってしまう。 ちなみに、冬のハルピンといえば氷灯(氷の彫刻の中に電球をいれたもの)が有名。 公園のようなところに会場が設置されていて、大型の氷灯が並んでいるが、わざわざそんな会場にまで行かなくても、 繁華街の至る所に氷灯が置かれている。 ただし、ハルピンの氷灯は、日本人にとってはあまり綺麗には感じられないので期待はしないほうが良い というのは、氷の中に入れられている電球が緑や赤やオレンジや黄色や、全部原色の色とりどりで、 極端に安っぽいのだ。 しかし、実はこれが中国人の美的センスである。中国の夜景を知っている方ならわかると思うが、 こちらの人は原色がピカピカ光っているのが一番の好みである。しかし、こういうのは、日本人の美意識に照らすと、 何の風情も感じられず、学芸会の飾り付けにしか見えないということになる。 中央街の真ん中あたりに、ロシア風のバーを見つけてピザを食べた。 ビールは当然ハルピンの地ビール「Happi」。このビールは中国最古のビール会社が製造している。 100年以上の歴史があるらしい。 ハルピン市民はビールが大好きで、年間ビール消費量は中国で第一位、世界でもミュンヘン、モスクワに次いで第三位の都市である。 0時が近くなったので、松花江の川岸に行ってみた。本来中国の正月は旧暦が基準だが、 最近では新暦正月にも何らかの小規模な行事があるのが普通だ。ハルピンでも川べりに人が集まって花火を上げていた。 20分くらい花火を眺めていたら本当に凍えそうになったのでホテルに戻った。まだ寝るには早かったのでホテルのバーへ。 バーには外国人が集まって大いに盛り上がっていた。私もしばらくビールを飲んでいたら、 新年のシャンペンのサービスなどもあり、ついつい長居してしまった。結局寝たのは2時過ぎ。 それでも翌朝は5時に起床した。黒河行きの汽車は1日に2本、朝と夜にハルピンを出る。 6時台発の黒河行きの汽車に乗るためにタクシーでハルピン駅に向かう。 途中で運転手に尋ねると、外気温はマイナス30度くらいだと言っていた。 中国の大都市の駅は、入口が実にわかりにくい。ハルピンでも入口がわからずに15分くらい駅前をうろうろしていたら、 身体の芯まで凍えてしまった。黒河市までは14時間くらいかかるので、 駅の売店でパンと巨大なソーセージを買って、汽車に乗り込んだ。 このとき私が買ったチケットは「軟座」というやつで、いわゆる1等座席のチケットである。 中国の汽車には、1等座席である「軟座」のほか、2等座席の「硬座」、1等寝台車の「軟臥」、 2等寝台車の「硬臥」の4種類がある。 値段は、「硬座<軟座<硬臥<軟臥」の順に高くなる。 一番高い「軟臥」はコンパートメント式の寝台であり、1つのコンパートメントの中に2段ベッドが 向かい合わせに設置されている。 このときは14時間という長時間だったので1等座席の「軟座」を買っておいた。 ところが、車内に入ってみると、なぜかコンパートメント式寝台の「軟臥」の車両であった。 車掌いわく、 「4人用のコンパートメントの下段ベッドに、向かい合って3人ずつ計6人座れ」 とのこと。ちょっと待ってくれよ、という感じである。 確かにそれでも一人当たりの座るスペースは「軟座」と変わらないかも知れないが、 独立したシートに一人ずつ座るのと、ベッドに3人並んで座らせられるのとでは快適さが全然違うではないか。 それに、閉ざされたコンパートメント内で6人が14時間過ごすというのは、いかにも圧迫感がある。 更に、日本人の私としては、特にそれを避けたい理由もある。 これだけ密着していると、みんなでトランプやろうなどという話になるに違いない。 会話が始まれば、かなりの確立で、 「むかし日本が中国を侵略したのを知っているか?」 などという話になる(ちなみに、かなりの中国人は、 「日本人は知らない」と思っている。当地ではそういう風に教えているのだ)。 そういう場合、彼らとしても別に目の前の日本人を吊るし上げる意図はなく、 単に興味本位で聞いているだけなのだが、それでも鬱陶しいことに変わりはない。 そこで、車掌を呼んで抗議することにした。 車掌のおばちゃん曰く、 「これで問題ない」 とのことだが、しつこく抗議していると、おそらく私の中国語の発音からか、日本人であることに気づいたようだった。 私の顔をじっと見たあとで、おもむろに、 「となりの車両が「硬臥」なので、少しお金を足してそちらに移れ」 と言った。 あとからやってきた男性の車掌がおばちゃんに向かって「どうした」と尋ねると、おばちゃんは、 「この人は韓国人で、あっちで一人で座りたいんだ」 と答えていた。 いくらかお金を足して、「硬臥」に移り、狭いベッドに寝転がっていたら、 前夜3時間しか寝ていなかったせいか、すぐに眠ってしまった。 黒河 硬臥の寝台で目を覚ますと、外はもう暗かった。向かいの寝台のおばさんに、 「よく寝るねえ」 と言われてしまった。時計を見ると、あと40分ほどで黒河に到着だ。 12時間以上眠り続けていた。 いつの間にか身体に毛布が2枚も掛けられていた。 向かいのおばちゃんが掛けてくれたようだ。 ずっと寝ていたせいで、途中の景色は何も見られなかった。少し残念だったが、 どうせ同じような真っ白な寒村が続いているだけなので、これはまあ良しとする。 おばちゃんと少し話をする。 日本人だと言ったら、驚いたようだった。 ちょうど通路を通りかかった車掌が、好奇心満々で話に加わってきた。 そのうちに、車掌だけではなく、いつのまにか、私の周りに人だかりが出来てしまった。 皆、実物の日本人を見るのは初めてらしい。 車掌が代表で質問をしてきた。 「日本のどこから来た?」 「その時計は日本で買ったのか?」 「いくらだ?」 そして、私が来ているピーコートの生地を指で撫ぜて、 「日本人はこういうのを着ているのか?」 など。 「おまえは中国に親戚がいるか?」 と聞くので、「いない」と答えたら、まわりの人がいっせいに、「ホントウの日本人だ」 などと言って少しどよめいた。 さて、こうして見世物になっているうちに、汽車は黒河の駅についた。日本人鑑賞会は終了である。 汽車を降りてホームを改札に向かって歩いていると、後ろでさっきの車掌が「ミシミシ」と大声で叫んだ。 余談だが、中国で一番知られている日本語は、「ミシミシ」と「バガヤロ」である。 これはどちらも、反日教育映画に登場する日本軍の兵隊が連発するので、中国人なら誰でも知っている。 「ミシミシ」は「飯、飯」、「バガヤロ」は「バカ野郎」。 中国人の頭の中の典型的日本人のイメージは、「ミシミシ」と言いながら飯を食い、 「バガヤロ」と言いながら中国人をぶん殴る、というものである。 黒河の駅は意外に広かったが殺風景だった。 駅前広場もサッカーができそうなほど広いが、周囲には目ぼしい建物もなく真っ暗だ。 公共交通機関もろくにないようで、タクシーが何台か客待ちをしていた。 1日に2,3本しか汽車のこない駅であるから、時間を見計って客を拾いに来ているのだろう。 駅は市街地に近く、タクシーで3分程度で市街地に出た。 市街地と言っても、高い建物はあまりなく、商店も見当たらない。 果物を売る屋台が路上に点々と店を開いているだけだ。 屋台の四方は半透明のビニールシートで完全に覆われていて、売り子はその中に入って店番をしている。 こうしなければ凍えてしまうのだろう。 あたりはおそらくマイナス30度を下回っている。ハルピンから更に真北に630キロも来ているのだから。 三つ星のホテルを見つけたので入ってみたら、ロビーが真っ暗だった。 営業していないのかと思ったら、フロントの中だけ灯りがついていた。 電力事情が相当に悪いらしい。 暖房だけはしっかりと効いていたので、ここに泊まることにした。 200元程度の部屋をとり、まずは荷物を置く。 少し休んでから、ロシアの夜景を見に行くことにした。 ホテルからアムール川までは意外に近く、歩いて5分程度だった。堤防に登ると、対岸にロシアの灯りが見えた。 対岸の町は想像していたよりも大きい様子で、小さなあかりが相当数見える。高い建物もあるようだ。 あとで調べたら、ロシア側の街の方が黒河より少し大きいらしい。 ロシアの夜景を見ることができて一応満足したが、とにかく猛烈に寒い。 それも当たり前で、対岸はロシア、つまりシベリアだ。 国境の川を隔てても気候は変わらないから、つまりはシベリアにいるのと同じことだ。 このときの私は、上海にいたときと同じ服装、つまり、 Tシャツの上に木綿のシャツを着て、ピーコートをはおっただけの格好だった。 冗談ではなしに凍死しそうである。 早々に街に戻ることにした。 街に戻ってどこか暖かいところに入ろうと思ったが、どこもやっていない。 そもそも誰も街など歩いていない。 やっと見つけた餃子屋に入り、水餃子をつまみにビールを飲むことにした。 東北風の水餃子は30センチくらいの皿に山盛り状態で、一人ではとても食べ切れない。 この餃子屋で、「冷たいビール」と言ったら無視された。 こんなことを言う客は初めてだったのかも知れない。出てきたビールは室温だった。 アルコールが入ったので、もう少し街を歩いてみることにした。 真っ白な街をタクシーが行き来しているだけで、歩いている人は誰もいない。 風が強く、露出している部分の皮膚が痛い。耳たぶはもう既に感覚が無い。 結局、散策は10分程度で諦めて、ホテルに戻ることにした。 ホテル内は閑散としていて、バーはもちろんレストランも営業していない。 部屋にあった施設案内のパンフレットによると1階にマッサージ屋があるらしいので行ってみた。 入口の女性の案内で中に入ってみると、いわゆる特殊マッサージ系の店だった。 殺風景な部屋に布団のないベッドが置いてあり、 農村風の10代半ばと思われる少女が、一人でベッドに座ってテレビを見ていた。 「昨日、四川省から来たばかりの娘」とのこと。 300元だか400元だか、そのくらいを言われたと思うが、四川省の貧しい農村からこんな極寒の地まで (たぶん親に売られて)やって来た境遇の少女を相手にしてもあまり嬉しくないので、 おとなしく部屋に戻った。 部屋に戻っても何もすることがないので、テレビを見ているうちに眠ってしまった。 翌日は午前中から街に出てみた。 さすがに昼間は営業している店がある。 食堂や雑貨屋の類が何件か開いていた。夜の印象よりは賑やかな街のようだが、 中心部だけなら歩いて全部廻ることができそうなほど小さい。 コーヒーが飲みたくて喫茶店を探したが、そもそも黒河にはコーヒーを飲ませる店というものが無いようだった。普通の茶館で熱いお茶を飲んだ。 ロシア雑貨の店ばかり30軒くらい集まっている通りがあったので、端から順番に全部覗いてみて、 ロシアチョコレートと木製の民芸風小物入れとロシアタバコを買った。 ガイドブックには「ロシア人が買い出しに来る」と書いてあったが、街にロシア人は見かけなかった。 国境貿易専門の市場か何かが別のところにあるのかも知れない。 昼間のロシアを見ようと思い、再度アムール川に行ってみた。 川は凍結していて、冬季の国境貿易は船ではなく、トラックで川を越えるらしい。 ロシア側には高い煙突のようなものが見えた。 ちなみに、日本人は仮にロシアビザを持っていてもここの国境は越えられない。 法律さえ許せばロシアまで簡単に歩いて行けるのに。 帰りの飛行機は4時半頃だったが、空港までの所要時間がはっきりしなかったので、 少し早めに空港に向かうことにする。週2便しかないので、遅れたら仕事始めに間に合わない。 タクシーを止めて、中年女性のドライバーと料金交渉をし、20元で行って貰えることになった。 ところが、走り始めて10分くらいでタクシーは何故か団地の中に入ってゆく。 何事かと思ったら、「免許証をとりに自宅に寄る」とのこと。 空港エリアに入るには、途中の検問所で免許証を提示する必要があるらしい。 やれやれと思いながら車の中で15分ほど待っていると、おばちゃんは一人の中年男性を連れて戻ってきた。 自分の免許証が見つからないので、旦那さんに運転させるとのこと。奥さんは助手席に座った。 こんなことをやっていて飛行機に間に合うのかと心配になったが、連中は 「だいじょうぶ」 と言う。 やっと空港に向けて走り出したと思ったら、今度は公安局の前で止まってしまった。 空港のあるエリアに入るには、公安局の許可証が必要とのこと。 運転手は「すぐに手続きできる」と言ったが、信用できない。 中国の場合、こういう時はたいてい担当者がメシを食いに行っていたりして、延々と時間がかかったりするのだ。 これまでにもそんな調子で随分ひどい目にあっているので、とても信用する気になれない。 「いいから、とにかく真っ直ぐ空港に向かってくれ」 と強く主張してみた。 運転手とその奥さんは、あくまで許可証が必要だと主張したが、私が折れないので、しぶしぶ車を出した。 少し走っただけで街は終わりとなり、雪を被ったまばらな自然林の中を空港に向かう。 20分くらい走ると、前方の路肩に小屋が建っているのが見えた。検問所である。 運転手が100メートルくらい手前で車を脇に寄せて止めた。 車内からしばらく様子を伺って、奥さんが「誰もいないみたい」と言った。 検問小屋に向かってゆっくり車を進めて行くと、ゲートは上がっており、 警官は一人もいなかった。きっとメシでも食いに行っているのだろう。 運転手とその奥さんは「よかった、よかった」と大喜びしていた。 車は原生林の中を更に10分ほど走り、空港の小さな建物の前に止まった。 面倒を掛けたので5元プラスして25元払ってタクシーを降り、搭乗手続きを済ませて待合室に入ると、 すでに20人くらいの乗客が飛行機を待っていた。 待合室から見える滑走路は四方を原生林に囲まれており、殺風景ではあるが、かなり広い。 有事の際には軍が使うことを予定しているのかも知れない。 白く凍っただだっ広い滑走路と、傾いた日差しと、周囲のまばらな自然林の黒いシルエットがなんとも寂しげで、 ホントウに遠くまで来たものだとしみじみ思った。 飛行機の到着は少し遅れたが、1時間ほどで、小さな飛行機がこちらにやってくるのが見えた。 週2回だけやってくる飛行機だ。ちゃんと迎えに来てくれたことに感謝する。 小さな飛行機は広い滑走路の真ん中辺に止まり、数段のタラップを下ろして乗客を待つ。 わずか20人ほどの乗客は、夕闇の中、白く凍った滑走路を延々と歩いて飛行機に乗り込んだ。 こんな凍結した滑走路で大丈夫なのかと心配だったが、問題なく滑走した。 小さいだけあって軽々と離陸した飛行機は、原生林と凍結した農地の上を飛び、 1時間半ほどで省都ハルピンに着陸した。飛行機の旅はいつも実にあっけない。 ハルピンで1泊し、翌朝は凍結した松花江を歩いて渡ってみた。 松花江は国境ではないので、歩いて渡っても機関銃で撃たれたりはしない。 ハルピンのホテルのカフェで、昨日我慢した分のコーヒーを飲み、 夕方の飛行機で上海に戻った。 上海に着いて飛行機を降りたとき、まだ同じ中国に居るという現実になぜか違和感を覚えた。 |
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