◇四川省奥地から雲南省シャングリラへ◇ | ||
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一昨年の8月に、四川省から雲南省にかけて旅した。
街の名前で言うと、 「成都→康定→理塘→得栄→シャングリラ→麗江→昆明」 というコース。 なお、このときはデジカメの充電ができるか不安で、普通のカメラを持って行ったので、ひとまず写真はなし。 そのうちスキャナーを買ったら改めて掲載する予定。 成都から康定へ まずは飛行機で上海から成都に飛んだ。成都は四川省の省都で、いわゆる大都市。人口は960万人。 例によって2時間以上遅れた飛行機が成都に着いたのは夜8時過ぎで、 すぐに長距離バスターミナルに駆けつけたが既に切符売り場は閉まっていた。 しょうがないので、チケットは翌日早起きして買うことにして、宿を探す。 いつもどおり、1泊250元くらいの3つ星のホテル。 ホテルのすぐ前に夜遅くまでやっているバーがあり、ちょうどよかった。 翌日は5時に起きて、6時に交通賓館横のバスターミナルに行ってみた。 この日の目的地は康定。康定は成都の西340キロにあり、すでにチベット文化圏と言ってよい。 成都からのバスの所要時間は8時間程度、つまり午後3時頃には康定に到着するはずだ。 ほんの数年前まで、成都から康定までは2日がかりの行程だった。今は次郎坂トンネルの開通で、 朝出ればその日のうちに康定に到着するようになった。 この地域の長距離バスは、すべて極端に朝が早い。殆どのバスは、朝6時から8時くらいまでの間に出発する。 私は、7時頃のバスに乗り、康定に向かった。 1時間くらい平地を走ったあと、バスは山岳地帯に入っていく。 このあたりの山は日本の山と雰囲気が似ている。緑豊かで、それほど険しくなく、 奥多摩あたりの雰囲気に似ている。浅い渓谷に沿った簡易舗装の道路を快適に走る。 ところが、山の奥深く入っていくに従って、少々状況が変わってきた。 バスはしょっちゅう徐行して、そろそろと進むようになった。 その原因は道路上にごろごろ転がっている落石だ。 落石と一言に言うが、このあたりの落石は軽自動車1台分くらいの大きさがあり、 それが100メートルおきくらいに路上にドカドカ落ちている。 この地域の8月は雨季にあたる。雨で地盤が緩み、何トンもある岩石がごろごろ落ちてきているのだ。 直撃を受けたら、バスに乗っていたって助からないのではないかと少々怖くなる。 成都から4,5時間走ったところで、バスはとうとう止まってしまった。 前方には物資輸送用のトラックが渓谷沿いに遥か先まで連なっている。 バスの運転手が入手してきた情報によると、先の方で落石があり、通行不能になっているとのこと。 落石に巻き込まれて少なくとも1名が死亡したらしい。 現在復旧作業中だが、開通はいつになるかわからない。明日の朝になるかも知れない。とのことであった。 乗客全員、やれやれ、という雰囲気になった。 しかし、現地の地元住民にとってはこういうときこそビジネスチャンスである。 道路沿いには、あっという間に、焼きとうもろこしを売る火が焚かれ、1回5角の簡易有料公衆トイレが出現し、 カップ麺を売るリヤカーが行き来するようになった。 私は焼きとうもろこしを買って長期戦に備えた。 ちなみに、こういう所でのとうもろこしの買い方にはコツがあって、 すでに焼き上がって並べられているのを買ってはいけない。 目の前の火の中で焼かれているものを指差して、「これを買う」と宣言し、 自分で直接火から取り出して食べるのが一番安全である。 乗客は皆だんだん退屈してきて、見知らぬ人同士でトランプなどを始めている。 私の斜め前に座っていたちょっと可愛い女の子は大人気で、何人もの男性が一生懸命に話しかけていた。 さて、道路復旧作業のほうは予想外にはかどったらしく、3時間程度で通行可能となった。 バスは相変わらず巨大な落石がごろごろしている道路をゆっくり走り、 午後3時頃にようやく次郎山トンネルを抜けることができた。 このトンネルを抜けると、いわゆるチベット文化圏だ。 ちなみに、中華人民共和国の行政区分で言う所のチベット自治区はチベット文化圏の1部に過ぎない。 実際には、青海省の全部と、四川省の西半分は古来から今に至るまでチベット民族の土地だ。 次郎山トンネルを抜けると急に視界が開けた。 このあたりの標高はまだ2千メートル台で、山は緑豊かだ。ただ、日本の山とはちょっとスケールが違う。 日本の田舎の農村風景を縦方向に10倍くらいに引き伸ばした感じか。 高低差数百メートルはあると思われる巨大な緑の山塊の間に農地が広がっている。 バスは尾根に近い高所をカーブを繰り返しながら走っていく。 遥か下に見える農家の屋根には衛星テレビ受信用の白いパラボラアンテナが並んでいて、 生活状況が改善されていることが伺われた。 この付近は、眺めは最高だったが、道路は最悪だった。 おそらく毎年復旧作業をしているのだろうが、厳しい冬に凍結して痛んだ道路が、 雨季の雨にさらされるとボロボロになる。 直しても、直しても、毎年8月頃にはがたがたになってしまうのだ。 だから、バスの揺れ方も半端ではなくて、私は一度座席から跳ね上げられて天井で頭を強打してしまった。 このとき首が前方にガクっと捻じ曲げられ、その後1週間くらいズキズキ痛んだ。 ちなみに、私が座っていた一番後ろの席でも、座った状態で頭から天井までは50センチくらいあるから、 更に首が捻じ曲げられるためには、少なくとも60センチは飛び上がらなければならない計算である。 次郎山トンネルを抜けたあとの道路は、ほぼ全行程に亘って復旧工事中だった。 興味深かったのは、道路工事のつるはしを振っているのは殆どが女性であったこと。 若い女性もいれば、初老と思われる年齢の女性もいるが、とにかく女性ばかりだ。 おそらく男性は都会に出稼ぎに行っているのだろう。 そして、地元に残った女性が道路復旧作業に駆り出されているのだ。 こういう作業も、地元民にとっては貴重な現金収入源に違いない。 康定に到着したのは夜9時頃だった。結局14時間くらいかかった。 まずはバスターミナルで翌日のバスのチケットを購入した。 康定のバスターミナルは古い建物だったが、なんと発券は電算化されていた。 残り座席数が時刻表とともに電光掲示板に表示される仕組みになっており、感心した。 無事チケットが買えたので、街をぶらついてみる。 康定は幅5メートルくらいの川に沿って開けた谷底の小さな町で、30分くらいで横断できてしまいそうだ。 中国では康定は「康定民歌」で有名である。 「民歌」というのは、日本で言えば民謡のようなもので、「康定民歌」はその中でも最も有名な曲のひとつだ。 中国人なら誰でも歌える(ちなみに、私も歌える)。 川の上流に向かって歩いていくと、1泊150元の結構よいホテルを見つけたのでそこに泊まることにした。 ちなみに、フロントのお姉さんは最初「1泊180元」と言った。 「ぼっている」と思ったが、疲れていたのでOKしてしまった。 そしたら、向こうから「やっぱり150元でいい」と勝手に値下げしてくれたのだ。 おそらく、120元くらいまで問題なく値切れたはずだが、私はとにかく疲れていた。 私の部屋は3階。エレベーターはなし。がんばって3階まで登る。 部屋について窓から外を眺めると、ホテルの前にはチベット仏教の寺院があり、 寺院の中にマニ車が並んでいるのが見えた。 宿を確保した後、ともかく腹が減っていたので、川沿いに街を散歩して、 さっき通過してきた屋台が並んでいる地区まで戻った。 屋台は殆どが串焼屋で、夜中までやっている。 野菜や肉や魚を串に指したものを自分で選んで、焼いてもらって食べる。 驚いたことに、なぜかコンニャクに似た物体があった。 試しに注文して食べてみたら、間違いなくコンニャクだった。 焼きコンニャクの味はまあまあ。 腹が膨れたので、ホテルに戻って早々に寝ることにした。 翌日はまた早朝からバスに乗らなければならない。 ホテルに戻る途中にパン屋があったので、朝食用に大きなコッペパンを買った。 康定から理塘へ 翌日はまた5時におきて、6時頃のバスに乗り、この日の目的地の理塘に向かった。 昨日までのバスとは一転して、車内はチベット人ばかりになった。何をしゃべっているのか全く判らない。 どういうわけか、全員古びた灰色の安っぽいスーツを着ており、全員坊主刈りで、 しかも同じような顔をしている。 エンジ色の僧衣を着たチベット仏教の僧侶も2人乗っていた。 バスは蛇行する道路に沿ってひたすら山を登り、そのうちに霧で視界がさえぎられてしまった。 高度が上がるに従って樹木は減ってゆき、石がごろごろ転がっているだけの景色の中を更に登っていく。 海抜3500メートルくらいの峠をいくつか越えると、大きな谷に出た。 谷の底部は幅が数百メートルもある大きなU字型になっていて、真ん中を小川が流れており、 ところどころにチベット風の装飾を施した小さな家が建っている。 色鮮やかな民族衣装をきた老婆が何人かで立ち話をしている姿も見えた。 このあたりの景色を評して「風の谷のナウシカ状態」と形容している人がいたが、本当にそんな感じだ。 個人的には、どちらかというとムーミン谷に似ていると思った。 それほど現実離れした景色だった。 バスはゆっくりと走っているのに、ひどく揺れる。どこかに掴まっていないと座っていられない。 大きく揺れる度に身体のあちこちをブツケるので、3,4時間で体中が痛くなった。 5時間ほど走ると、少し標高が下がったのか、緑深い山の中に入った。 数百メートルはあると思われる深い渓谷を登り、11時ごろに小さな街に着いた。ここで昼食。 私は昨日買ったコッペパンの残りを食べたが、チベット人はその辺の食堂で食べていたようだった。 昼食後、バスは再び高度を上げ、午後2時ごろに大草原に出た。 大草原と言っても、内モンゴルなどの平坦な草原とは違って、ここの大草原はアップダウンが大きい。 見渡す限り緑の丘陵が続き、羊やヤクが放牧されている。 バスは尾根沿いの一番高いところを走ってゆく。 足元の丘は、「丘」とは言っても多分1キロくらいの高低差があり、 傾斜はゆるやかなのに、見下ろすとクラクラしそうだ。 1キロも高低差があるのになぜ緩やかな丘陵に見えるのかというと、 つまりそれだけ全体のスケールがでかいからだ。 日本ではありえないスケールの景色だと思う。 途中で見かけた高度標識には海抜4754メートルと書いてあった。 と言うことは1000メートルほど下に見える「低地」でさえ、富士山頂くらいの高度がある訳だ。 草原の真ん中でトイレ休憩があり、バスから10メートルくらい離れたところまで歩いて、用を足して、 バスに戻ってステップを3段登ったら、息が切れてしまった。 空気が薄いことを実感した。 理塘の街が草原の向こうに見えてきたのは午後4時ころだった。 明るいうちに着けたので、心の底からホッとした。 バスは街に向かってゆっくり高度を下げていく。 理塘は歩いても15分もかからずに横切れてしまうほどの小さな街だが、周囲数百キロの範囲では一番大きな街だ。 標高は4000メートルくらい。 街の周囲は一面の草原で、草原以外は何もない。住んでいるのはチベット人ばかりである。 1年に一度、大草原でおこなわれる勇壮な競馬祭が有名で、その時期には観光客も結構訪れるらしい。 いつもどおり、まず翌日のバスの切符を買う。翌日の朝5時30分発と言われた。 毎日毎日、朝が早いのは実につらい。何とか勘弁してもらいたいが、1日に1本しかないバスなので、 どうしようもない。明日も5時起きである。 ともかく翌日の足を確保できたので、泊まる所を探すために街をぶらつく。 街で見かける理塘の男たちは、なぜか大抵テンガロン・ハットを被っており、 皮製のベストを着用している者が多く、まるで西部劇のガンマンのようだ。 体格が良くて、顔の彫が深く、相当に押し出しが利いている。 この地域のチベット族の男性の特徴らしい。 中国の人民解放軍がチベットに侵攻したとき、最後まで抵抗したのはこの理塘の男たちだったそうだ。 彼らの面構えを見て、何となく納得した。 そんな連中が通りのあちらこちらに沢山たむろしていて、 一見してよそ者と判る私が前を通ると一斉にこっちを見るので、結構、怖い。 (後半につづく) |
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