2年前の2月から贈月にかけて、中国ではSARSが大流行した。
日本でも、「治療法のない新型肺炎」として、センセーショナルに報道された。
北京や香港では患者が大量発生して、大騒ぎになった。
上海でも4月から贈5月にかけて、毎日テレビで感染情況のニュースを流していた。
防護服を着て消毒作業をしている官員の映像を眺めていたら、ずっと昔に見た「カサンドラクロス」という映画を思い出した。
さて、上海は大量感染こそなかったものの、みんなマスクをして出歩いていたし、
茂民路のバーは開店休業状態となり、街は活気を失っていた。
日本からの旅行者や出張者も大幅に減り、ホテルもガラガラ。
実はこの「SARS」という奇病は、2月頃に一度かなり話題になった。
特に患者数の多かった広東省では、
「奇病の特効薬として黒酢が有効だ」
というデマのせいで黒酢の値段が高騰し、上海でも店頭から黒酢が消える騒ぎとなった。
その後、2月末に中国政府が、
「新型肺炎の流行は既に終息した」
旨の正式発表をおこなったため、騒ぎは収まった。
ところが、4月はじめごろになって、
「中国で治療法不明の新型肺炎が流行」
というニュースが、日本から逆流入してきた。
これを聞いた私は、
「日本では今頃になって何を報道しているんだ。すでに現地では解決済みの話なのに。」
と笑った。
しかし、私の言葉に対して、まわりの中国人は複雑な表情をするだけで、何も返事をしなかった。
その後の展開はご存知のとおりで、4月に入ったころから、SARSの流行は中国全土を揺るがす騒ぎとなった。
にせの報道にだまされていた私は腹を立てた。しかし、周囲の中国人は平然としていた。政府の発表や新聞報道など、
はなから全く信用していなかったようである。
さすがである。
この大陸で生きるためには、自分以外は信用しない態度が大切であることを学んだような気がする。
さて、ちょうどSARS騒ぎが最高潮に差し掛かる頃、中国は5月の連休を迎えた。
こちらでは、毎年贈月1日から7日まで、一週間の連休となる。
世間は旅行どころではない雰囲気であり、どうしようか相当迷ったのだが、
やはり上海に閉じこもっていては勿体無いので、小旅行に出ることにした。
昔から行きたいと思っていた龍門石窟に行くことにしたのである。これなら2泊3日で十分だ。
夜行の寝台で上海から洛陽に向かった。
予想どおり、汽車はガラガラだった。
洛陽
洛陽は河南省にあり、黄河が域内を流れている。
洛陽は、古来から何度も中国王朝の首都になった。
東周の時期は洛邑と呼ばれ、その後、後漢・曹魏・・晋・北魏・隋・後唐のそれぞれ首都となった。
また、長安を都とした王朝でも、洛陽を副都とした王朝が多かった。
ただし、こんな風に書いてくると所謂「古都」のイメージを思い浮かべるかもしれないが、
現在の洛陽にはそんな風格も、建造物も、歴史の陰影も、全くない。
中国の田舎の中規模都市ならばどこにでもある景色があるだけである。
洛陽は旧市街地と新しく開発された地域とに分かれている。
新しく開発された地域には立派なビルが並び、他の中小都市と変わるところがない。
そこで、旧市街地に行ってみたが、ここにもいわゆる古都の雰囲気は微塵ものこっていない。
さすがに1000年も経ってしまうと、ただの田舎町に戻ってしまっている。
洛陽市の旧市街地区
同上
古いには古いが、単に古いだけ(しかも、せいぜい数十年といった古さ)の民家などが立ち並んでいるだけである。
龍門石窟へ
洛陽の市内から龍門石窟までは、バスで40分くらい。
直線距離では10キロちょっとらしいが、バスだと市内をクルクル廻ってから行くので、結構時間がかかる。
値段は確か1元五角、バスの運賃は上海とそう変わらない。
運賃はそう変わらないが、運転手の勤務態度はかなり違う。
ひところで言えば、のんびりしている、というか、ほのぼのとしている、というか、つまりはいい加減である。
郊外に向かう片側2車線の道路を走っているとき、バスが中央車線のど真ん中で突然とまったので何かと思った。
どうやら、対向車線を走ってくる知り合いの車を見つけたらしい。
運転手は、いきなり、バスを中央車線のど真ん中に停め、対向車線の自家用車
(これも中央車線に停車している)の運転手と何やら会話を始めた。
後ろから走ってくる車は、クラクションも鳴らさずに、ちゃんとバスをよけて走っていく。
2,3分の会話の後、バスはようやく動き出した。
さすがは古都洛陽の市民である。近代文明の利器にを運転していても、
振る舞いは「ぶらぶら歩きの立ち話」の世界である。
龍門石窟
「龍門石窟」は、中国の3大石窟の一つといわれる。
西暦493年、北魏が首都を洛陽に移した後に建築がはじまり、その後、唐中期までの間に、
約30000体の仏像が彫られた。
2000年にはユネスコの世界遺産にも登録された。
ユネスコ世界遺産だけあって、駐車場は広大である。しかし、殆ど車が見当たらない。
SARSの影響は甚大である。
バスを降りて、だだっ広い駐車場を抜け、みやげ物屋が並ぶ通りを過ぎると、川岸に出る。
龍門石窟の前の川
龍門石窟は、この川沿いの岸壁を彫って作られている。
川沿いに観存用の立派な遊歩道がある。観存客はここを歩いて見て廻る。
川を挟んで向かい側にも別の時代に作られた石窟群があり、遊歩道は橋を越えてそちら側にも続いている。ただし、こちらの石窟群の見学は別料金となる。
対岸から見た龍門石窟の全景
小さい石仏の多くは、顔の部分がつぶされている。
文化大革命の時に破壊されたと言う話を聞いたことがある。
しかし、一番大きな(一番有名な)石仏はなぜか無傷で残っている。
遊歩道から石段を登っていくと、教科書などでも見たことのあるあの石仏があった。
これは有名ですね。
対岸から見るとこんな感じ。
有名な龍門石窟も、地元の人にとっては見慣れた景色に過ぎない。
石窟の前の川で洗濯している人が居た。もしかしたら、この辺の子供は石窟でかくれんぼなどしたりするのかも知れない。
洗濯中
龍門石窟の石仏は全部で30000体もあるので、細かく見ていけば時間がかかるのだろうが、
有名な石仏だけをざっと見るだけならさほど時間は要しない。
私はこの日のうちに河南省の省都である鄭州市に移動する予定だったので、2時間程度で見学を終わらせて、
バスで洛陽の市内に戻った。
洛陽市から鄭州市までは長距離バスで移動。
鄭州は河南省の省都で、昔から交通の要所として栄えた。
ちなみに、「交通の要所」という言葉は良く耳にする概念であるが、自分でこの広い中国を旅行して廻ると、
この「交通の要所」という概念が実によく理解できるようになる。
たとえば、甘粛省の蘭州市も「交通の要所」であるが、中国西部の深いところを旅しようとすると、
どうしても蘭州を経由することになってしまう。
実は私は蘭州があまり好きではなく、できれば行きたくないのだが、どうしても通らざるを得ず
、更に蘭州で1泊しなければならなくなったりする。
これがつまり「交通の要所」ということなのだと実感できる。
鄭州も同様である。
鄭州市内から40分くらいバスに乗ると黄河の川岸に出ることができるらしいが、
黄河は昔蘭州で見たことがあったので止めておいた。
鄭州市からは飛行機で上海に戻り、連休の残り期間は家でSARSの感染情況など聞きながらおとなしく過ごした。